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出会った二人の少年

Musanze(Ruhengeri)-首都キガリから北へ96km先に位置し、コンゴのGomaとの国境から車でおよそ1時間ほどのところにあるルワンダの田舎町。ここで私は二人の少年に出会いました。Lambert(23歳)とVicky(17歳)。この非常に対照的な二人との個人的な出会いを通し、私たちがもっと目を凝らして見るべき深い溝の中をのぞきました。                    写真=Musanzeの中心部 (Photo©Kadae.C)

Lambert。小学校から高校、専門学校までが一つになったMusanzeが誇る教育機関INESで専門学校の最終学年を終えようとしていたこの少年は、学校の敷地から歩いて出てくる私に流暢な英語で話しかけてきました。INESでの専門は農業やBioエネルギー、グリーン科学、環境マネージメント。将来は、ルワンダの国のため、農業とエネルギー分野での仕事を望んでいるのだそう。日本で言えば、小学校から中学校、高校、専門学校と全ての教育を受けてきたこの少年。行く方向が一緒だったこともあり、私は歩きながら何となく彼と会話をすることになりました。この地域一帯で、学校教育を受けていない子供たちはどれくらいいるの?との私の問いかけに、「みんな学校にいっているよ」。まさか・・・。そのとき、私はその日4時間かけてあちこち歩いたこの町の様々な場面を思い起こしました。そんなはずはない・・・。「男の子も女の子も、小さな子供も“みんな”教育を受けているの?」「今、ルワンダ政府は全ての子供に教育を受けさせることを義務付けているから、もちろん学校に行っていない子供たちはここにはいないよ」。本当かなぁ。「例えば、あそこにいる子供たちも絶対に教育を受けているの?」私は、通りに集まって裸足で遊んでいた6,7歳くらいの男の子たちを指してしつこく確認しました。「もちろん。こっちの学校は、午前中のみ、あるいは午後のみのクラスだから、きっとこの子達は午前中の学校に行ったんだよ。」大小の穴が開き、もともとは白色だったはずの茶色く疲れたT-シャツを着た子供たち。本当に学校に行っているんだろうか。でも、教育をしっかり受けた現地の少年が言っていることだし、ルワンダ政府も教育には力を入れているし、現状はきっとそうなのかも・・・。

翌日、Vickyに出会いました。町の中心部を一人散策していた私に、ぎこちない英語で「How are you?(元気ですか?)」と話しかけてきた少年。白いシャツに紺色の膝丈ズボン、リュックを身にまとい、一見したところごく普通の少年だったので、私はまた、こうして出会った少年と歩きながらたわいもない会話を始めました。

どことなく暗い感じを漂わすこの少年は、兄弟をなくし、父をなくし、母と二人の生活を送っているとのこと。ちょうど休み明けで多くの学校が始業していたので、私は彼に「今日はもう学校は終わったの?」とたずねました。すると、「学校に行くお金がないからいけないんだよ。」え・・・?「お母さんは歳で病気だし、僕が学校に行くお金はないんだ。勉強したいんだけど・・・。」「お母さんはこの町にすんでるの?」「僕たちはRugereroにすんでるんだけど、僕は昨日からここに来て学校を探しているんだ。」この少年は、1ドルにも満たないミニバスにのりこの町へ入り、昨晩、知り合いの家に泊めてもらったのだそうです。そしてこの日、どこへ行けばいいかのも分からず、学校を探しながら一人町を歩いているときに私と出会ったのだそうです。なんと返答をしていいか分からず、無言の空間をさけるかのようになんとなく、「もうお昼は食べたの?」と聞くと、少年は少し笑みを浮かべながら、当たり前かのように「まさか。何も食べてないよ。」と。時計をみると、そのときなんとすでに午後4時30分をまわっていました。私は町を数時間歩きのどが渇いていたこともあり、少年を誘って現地のフードショップに入りました。支払いは私がするからと伝え、少年はチキンとポテトの食事をとり、私はビンのコーラを飲みながら彼にいろいろとたずねました。学校へ行くお金がないこと、教材費がないこと、母親が病気でこの先どうすればいいか分からないこと、英語は拾った新聞や人の会話を聞いて自分で学んだこと、どうしても勉強がしたいこと、いつも神に祈っていること、私と出会い話しを聞いてくれる人がいてとてもうれしいこと・・・。彼の思いや状況を聞き終え、最後は「Don’t give up. Just keep trying, and something will come up. (あきらめないで。がんばり続ければ、きっと何かが開けてくるから)」と言って別れました。この言葉が少年の今の状況にとってどれほど無意味なものかを知りながら、何の助けにもならない言葉と知りながら、私はこれ以外の言葉を見つけることができませんでした。人を勇気づけるはずのこの言葉が、こんなにも虚しく意味のないものに響いたのは、私にとってこれがはじめてです。

全ての教育を終え、自信にみなぎり目標と夢を持った少年と、どこの学校に行けばいいのかもわからず、学校の教材さえ手にできず、勉強がしたいのにその機会さえ持つことを許されない少年。同世代の対照的な二人との出会いは、ヨーロッパや中東など諸外国からの投資家が多く参入し経済ブームにあるルワンダが一人たりとも見落としてはならない子供たちの存在を教えてくれました。

これから未来を現在に作り変えてくこの少年の「学校に行きたい」という小さな、しかし切実な願い。それは、この国、そしてアフリカ全土にわたって多くの子供たちが未だかなえることのできないものです。国連機関で開発にたずさわる一方で、一個人としてどれほど無力であることかを実感し、国連の名刺に自分の名前を見ると、恥ずかしく、虚しさを感じさえしました。

Vickyは今、一歩ずつ前に進んでいます。彼に関する話は、また別の機会に・・・。