Kwita Izina - マウンテンゴリラネーミングセレモニー
6月20日、ルワンダ誇る Volcanoes National Park にて、第5回 Kwita Izina が開催されました。Kwita Izina は、前年に生まれたマウンテンゴリラの子供に名前を付ける儀式で、ルワンダ共和国あげての式典 (Reutersニュースはこちらから)。/ 写真=会場に大きく掛った Kwita Izina のシンボル (Photo©Kadae.C)
招待者には、ルワンダ共和国首相やMinister of Trade and Industry、ルワンダ北部地方の県知事、アメリカ大使やドイツ大使など外交官メンバーが名を連ね、また、国連で「2009年ゴリラの年」と決定されたことにちなみ任命された国連特別大使、国連常駐代表など、政府・国際機関関係者をはじめ、投資家、起業家、マウンテンゴリラ保護関係機関、研究機関、コミュニティ開発機関、世界各国からのメディア関係者などが勢ぞろい。ルワンダの豊かな自然とエコ・ツアリズム、コミュニティと一体になったマウンテンゴリラ保護活動を称え、生まれてきた新たな命を皆で祝う、という年にたった一度のこの日は、多彩な工夫が施され、地域一体を色豊かな雰囲気に包みこんでいました。
そしてなによりも、そこには15年前に起こったあの民族紛争の悲劇から力強く立ち直り復興を進めるルワンダがあり、まさにそれは、未来に向ける「生命」に潤ったエネルギッシュな「ルワンダ共和国」の象徴とでもいうべきもの。
朝8時。雄大な自然に包まれた National Park のふもとで、この時間から多くのパフォーマンスが催されました。ルワンダや東アフリカで著名なアーティスト、伝統舞踊グループ Inganzo Ngari による歌と踊りの舞台、ルワンダの民族舞踊、また、マウンテンゴリラと現地コミュニティをテーマにした地元ユースグループによる演劇など様々。
写真=ルワンダ伝統舞踊を披露する Inganzo Ngari (Photo©Kadae.C)
この大がかりな式典。正式な招待状を持つ者のみが参加できるもの。式内入場は厳重に管理され、ところどころに立つ軍関係者がじっくりと招待状を確認していきます。しかし、いったん敷地内に入れば、首都キガリを拠点にビジネスを広げる Bourbon Café よりコーヒーやクッキー、ペイストリーがふるまわれ、広大な緑を舞台に鮮やかな音楽と文化パフォーマンスなど、五感を刺激するものばかり。
写真=式典で繰り広げられる様々な文化的催し。女性は美しく舞い踊り、男性は勇ましく大地を蹴りあげる。(Photo©Kadae.C)
さて、この日ハイライトとなる18頭の子供マウンテンゴリの名付けイベント。ルワンダのマウンテンゴリラ・エコ・ツアリズムやVolcanoes National Park の環境発展に貢献した18名により発表された名前は、それぞれ個性に富んだ意味あいを持つもの。
1. Ijeneza – Future is bright (輝かしい将来)
2. Uzarama – everlasting life (永遠に続く命)
3. Keza – she is very beautiful (とても美しい彼女)
4. Shyrambere – Go forward (前進)
5. Ngwino – come (到来)
6. Shishikara – Have courage (勇気を持って)
7. Agahozo – Consolation (慰め)
8. Gutungurwa – Surprise (驚き)
9. Ingenzi – Necessary (必性)
10. Umutesi – spoiled child (あまやかs)
11. Ingabo – army (軍人のように強く)
12. Umurinzi – Protector (Immigrated; not yet known from where)
(移民してきたばかりで、まだ不思議に満ちている)
13. Komeza – Go ahead (さぁ、どうぞ)
14. Dukore – let’s work (さぁ、やろう!)
15. Akarusho – the special (特別)
16. Umuganda – work together (ともに活動しよう)
17. Ubudehe – work together to achieve fruits (協力して達成しよう)
18. Inkubito – at the frontline of a battle (戦いの前線)
こうして、マウンテンゴリラの数が増え、コミュニティがここの豊かな自然に「自信」と「オーナーシップ」を持つことができるのも、ルワンダ政府をはじめ、環境や開発 NGO、そしてなにより現地コミュニティが一体となってマウンテンゴリラを中心としたエコ・ツアリズムを奨励しているからこそであり、生物多様性・天然資源を守るため、日々協力して様々なコミュニティ開発活動を行ってきた努力のたまもの。環境と共存し存続していくことは、持続的開発のサイクルの一部であり、天然資源に頼り生活する現地コミュニティの人々にとって基本的・最重要項目の一つなのです。
ルワンダの未来を象徴するエネルギッシュなこの式典。たった一つ、しかし非常に心残りなことが。それは、招待者に課せられた制限。地元コミュニティの人々の参加は許されず、何百人もの人が敷地の外からフェンス越しに中を眺めるのみだったのです。振る舞われたコーヒーやペイストリー、式典後の豪華な昼食事など、彼らには一切振る舞われることはなく、招待者と彼らが交流を図ることすらなかったのです。低いフェンスを隔てて広がる全く違った二つの世界。低いフェンスも、非常に高い壁となって立ちはだかっていたのが現実。 / 写真=会場外に集まる地元住人たち。フェンスを隔ててのみ、Kwita Izina を "見学" している。(Photo©Kadae.C)
自然環境と地元住民は非常に深くかかわっているのは明らか。特にルワンダは、国家経済も国民生活も天然資源やエコ・ツアリズムなどにそのほとんどを依存しているのが現状。更に、National Park 周辺は、1平方キロメートルあたり450~600人が住むという世界屈指の人口過密地帯。この状況の中、マウンテンゴリラの保護や関連活動、National Park 周辺の生物多様性・天然資源・環境保護は、地元住民の協力が不可欠であり、彼らの理解・協力無くしては成り立たない活動です。マウンテンゴリラの誕生は、政府や国連機関、開発コミュニティ、地元コミュニティすべてにとって同様に受け取られるべきもの。
国を挙げての式典-これにも、コミュニティの「オーナーシップ」が確立されるべきものであり、将来、この Kwita Izina がより現地コミュニティに根付き、すべてのセクターが同様に参加し祝うことができる日が訪れることを願います。
写真=Kwita Izina の式典会場。マウンテン・ゴリラが生息する Volcanoes National Park のふもとが会場となり、ルワンダの生物多様性を代表する地区。(Photo©Kadae.C)
心・身・『知』ラグジュリアスな滞在:Clouds Mountain Gorilla Lodge
写真=ロッジのメインエントランス(Photo©Kadae.C)
Nkuringo - 雲の上、まさに「天」にいるような気分にさせてくれるのが、ウガンダの Nkuringo が誇るこの場所。ここは、一人一泊450㌦。朝・昼・夕食が含まれているだけでなく、コーヒー・紅茶をはじめ、昼間のケーキや果物、スナックなど、全てがサービスで提供されるハイクラス・ラグジュアリー・ロッジ。ここの食事、グルメリアンにとってはたまらなくおいしい。スナックも、サモサにホーム・メイドのケーキやクッキー、生サーモンとフランスパンなど、バラエティに富み、味も抜群。
宿泊ゲストにはそれぞれ専属バトラーが付き、必要となること全てをお世話してくれる。自分の専属バトラーに食べ物の好みや滞在中のスケジュールなどを伝えておけば、あとは自由気ままにのんびりと贅沢な時間が。必要な時間に必要なものがアレンジされ、またそれ以上に、細部にいたるまで非常に細かな気配りがされており、滞在を極上のものにしてくれます。
写真=コモン・ロッジスペース。広々としたスペースが、ナチュラルを 貴重としたセンスの良い家具とウガンダ出身アーティストの絵画で彩 られる。奥には、ミニバーがあり、窓の外は、テラス席となっている。 読書をするもよし、パソコンをするもよし、気さくなスタッフと話するもよし。 一日中でも過ごしたくなるような雰囲気に包まれる空間。 (Photo©Kadae.C)
到着後、コモン・ロッジにてまずは冷たいハンドタオルと、リフレッシュメントとして地元周辺で取れた果物のフレッシュジュースをいただき、その後、専属バトラーの案内で宿泊ロッジへ。部屋の目の前には、大きな山々が連なり、隣国コンゴの火山までもを一望することができます。ロッジ周囲は驚くほどたくさんの鳥たちに囲まれ、青や黄、赤色の羽をまとった、なんとも美しくチャーミングな鳥たちの鳴き声だけが聞こえる。ここには、そんな大自然と自分たちだけのプライベートな空間が広がっています。
部屋には、暖炉を備えた大きなリビングルームと、ベッドルーム、シャワールームがあり、ベッドやカーペットの上には色鮮やかな花びらが。夜には、暖炉に火がともされ、その温かな火に包まれ、ワインやシャンパンを手に時間を忘れてしまうほど。就寝、ベッドへ入れば、足元にはなんと、タオルで丁寧に包まれた湯たんぽが入れてあり、すでにベッドの中はぽかぽか。
写真・上から=暖炉を備えた部屋のリビング。右=明るく開放的なベッドルーム。(Photo©Kadae.C)
夕食も、ある夜は、部屋の前のバルコニーでプライベートなディナーを用意してくれ、大自然を背景に、自分たちだけのディナーが楽しめる。そして、その夜、リビングから、ベッドルーム、バスルームにいたるまで、部屋中にキャンドルが灯され、ロマンティックな夜を演出してくれます。
夜は、これこそ「こぼれんばかり」の満点の星空が広がり、息を呑むほど。これほどすばらしいサービスとすばらしい人・コミュニティ、そして、すばらしい大自然。こんな場所に滞在することで、コミュニティ開発にも貢献しているとは・・・。星空に包まれ、心も身も、そして『知』的にも極上な時間を過ごすことができます。「天」に近い場所―それが、Clouds Mountain Gorilla Lodge。
ハイクラス・ラグジュアリー:Clouds Mountain Gorilla Lodge
があります。 (Photo © J.Kemsey)
ここに、昨年の夏オープンしたのが、Nkuringo が誇る Clouds Mountain Gorilla Lodge。このロッジ、いわゆるハイクラス・ラグジュアリー・ロッジ。一人一泊450ドル。それぞれの宿泊ゲストに専属バトラーが付き、「おもてなしの心」を知る日本人でさえも、このロッジが持つ細部にいたる細かな気配りには圧倒。また、粋な心づかいと恵まれた自然環境、隣国コンゴの火山を背景にくわえ、グルメな料理と映画のようなプライベートな空間が、ここでの滞在を極上のものにしてくれます。
写真=シンプルでおしゃれなインテリアのClouds Mountain
Gorilla Lodge メイン・ルーム(Photo © J.Kemsey)
じつは、このロッジ、マウンテン・ゴリラに関するエコ・ツアリズムを目的とし、また現地のコミュニティ開発を推進するためのプロジェクトの一環として建設されたもの。Nkuringo に隣接する Bwindi National Park には、およそ300ものマウンテン・ゴリラが生息し、この絶滅危機に瀕する人間に非常に近い動物を一目見ようと、マウンテン・ゴリラトレッキングツーアに参加するため、諸外国から外国人が訪れます。一方で、周辺コミュニティに住む人々は、牛やヤギを飼い、畑を耕し、アイリッシュ・ポテトやビーンズを育て生活をしています。子供たちは、片道4時間かけて学校へ通い、その多くは、一日一食の食事しか摂っておらず、非常に貧しい生活を強いられています。
そこで考えられたのが、ラグジュアリー・ロッジを含めたコミュニティ開発プロジェクト。ロッジの運営により、マウンテン・ゴリラをはじめとするエコ・ツアリズムを推進すると共に、エコ・ツアリズムの周辺活動を行うことで収入や雇用を創出します。これにより、Nkuringo 周辺住民が直面するこうした貧困の削減や開発に貢献し、コミュニティ全体の生活向上を図る同時に、Bwindi National Park の環境・生物多様性を確保し、マウンテン・ゴリラを保護するというもの。また、ロッジを含め、開発プロジェクトそのもののオーナーシップをコミュニティが持つという、現地コミュニティを完全に取り込んだ画期的な活動です。
ロッジの運営にはウガンダを拠点に展開するサファリ会社が協力し、環境 NGO 団体 IGCP 主導の下に行われているこのプロジェクト。大まかに分けて3つのコンポーネントがあります:
① ロッジ運営による開発活動・雇 用・収入創出
② 宿泊ゲスト・旅行者の観光によ る雇用・収入創出
③ Nkuringo Community Development Fund(NCDF) の設立
写真=Bwindi のマウンテン・ゴリラ (Photo © J.Kemsey)
① ロッジ運営による開発活動・雇用・収入創出:
Clouds Mountain Gorilla Lodge のスタッフは、全て現地の若者。また、食材や薪なども、クオリティー・コントロールを行いながら現地の人々から調達します。こうして現地に即した運営を行うことで、Nkuringo 周辺コミュニティの雇用を増やし、エコ・ツアリズムの活動をコミュニティへ還元しています。ロッジが建つ土地は、もともとコミュニティに属するもの。ロッジの利益の一部は、Nkuringo Community Development Fund (NCDF: 以下参照) を通して、コミュニティが必要とする開発プロジェクトの資金として使われる仕組みになっています。その他、農業開発や地元学校の支援など、ロッジとしての支援活動も行っています。
② 宿泊ゲスト・旅行者の観光による雇用・収入創出:
ここに滞在するゲストのほとんどが、マウンテン・ゴリラ・トレッキングのエコ・ツアーを目的とした人々。彼らの多くは、現地コミュニティの文化にも興味を持ち、現地の生活様式の見学や、コミュニティ散策などのアクティビティにも参加します。こうしたアクティビティのアレンジや調整なども、NCDF (以下参照) により形成された現地の人々による現地ガイド事務所で行われ、ここでも雇用・収入が創出されます。また、こうした活動を通して、Nkuringo の持つ自然環境やエコ・ツアリズム、 マウンテンゴリラの保護に対するコミュニティ の意築識向上も促進され、ひいては、活動全体に対する Nkuringo コミュニティのオーナーシップ構築につながっています。 / 写真右上=バスケットを編むPigmi 族の女性 (Photo © J.Kemsey)
③ Nkuringo Community Development Fund(NCDF)の設立:
特にハイライトとなるのが、Nkuringo Community Development Fund(NCDF)の設立。ロッジの収益の一部が、NCDF の資金に充てられており、団体そのものは、完全に Nkuringo コミュニティで成り立っています。NCDF では、Nkuringo にあるそれぞれの村の代表が集まり、月に一度、村の問題を持ち寄り話合いを進めます。ロッジの収益から還元された資金は、この話し合いで決まったプロジェクト活動に充てられています。 / 写真右上=家畜を移動させるNkuringo周辺住民(Photo © J.Kemsey)
こうしたコンポーネントからなるそれぞれの活動全体を通して、環境や生物多様性の重要性、エコツアリズム、マウンテン・ゴリラに関するコミュニティの意識が向上され、開発活動におけるコミュニティのオーナーシップが構築されています。
日本でもここ数年、特に注目を浴びている「企業の社会的責任(CSR)」や「グローバル・サステイナブル・ビジネス」。企業の利益とは直接結びつかないものの、企業による社会貢献の活動を推進したり、あるいは、社会貢献型の事業を開発し、社会貢献・開発をすることで企業利益を生み出す、というパートナーシップのコンセプト。どちらにしても、開発における企業の役割が非常に重要とされており、「企業にしかできないこと」、「企業だからこそできること」への認識が非常に高まっています。企業と開発コミュニティーのパートナーシップは、日本でも少しずつ広まっていますが、それでもやはり、まだまだ開拓の余地はあり、双方の間には壁が存在しています。
ビジネス・セクターと開発コミュニティのコラボレーション。アフリカでは、特に珍しいことではなく、企業の「利益と専門をコミュニティに還元しよう」という意識が、行動につながっています。今回のClouds Mountain Gorilla Lodgeは、環境とコミュニティ開発の一例ですが、こうしてご紹介することで、新しいアイディア・次のコラボレーションが生まれればと、願っています。
*Clounds Mountain Gorilla Lodge 滞在の詳細は、次のブログエントリーで。
コンゴ蜂蜜プロジェクト:紛争とのかかわり
視察の一環として、Kibumba にある Association の事務所の一つに立ち寄りました。Bee Keepers から蜂蜜を購入したり、蜂蜜をプロセスしたりするこの事務所は、今現在、もぬけの殻。昨年10月に悪化したコンゴ・ゴマ周辺の紛争で、軍や過激派に事務所を占領されたそうです。幸い、Mutere さんは危険を察知し、事前にできるだけ多くの道具や機材とともにゴマの家に非難したそうです。軍などが撤退し状況も落ち着き、事務所へ戻ると、今度は知らないコンゴ人が自分のオフィスとしてビジネスを始めてしまっていたとのこと。交渉の末、今月にはこのコンゴ人、オフィスから退去し、また蜂蜜事務所として活動が再開できるそうです。 / 写真右上=軍などの撤退後の事務所と、そこに入り仕事場として使っていた現地のコンゴ人(Photo © Kadae.C)
最も困難な問題は何ですか?との質問に、Mutere さんはこう応えてくれました:「今一番の問題は、蜂蜜を Kivu まで運ぶ手段がないことなんです。去年(2008年)の10月に起こった紛争の間に、運搬に使っていた車やバイクなど、全て軍や過激派に取られてしまいましたから・・・。」
私たちがゴマから走ってきたこのとてつもなく長い一本道は、非常に足元が悪く、重く大きな車に乗りシートベルトをしっかりとはめていても、常にお尻が宙に浮き、車の屋根で頭を打ってしまうほどです。交通手段がなければ、彼らはこの道のりをどうやって進んでいくのだろう・・・しかも蜂蜜を抱えて。あるときは、いつか車が通り、便乗させてもらえることを願いながら徒歩で進み、あるときは、木でつくられた現地の乗り物「ジュグデゥ」に乗り、途方もない道のりを少しずつ前に進み・・・。
写真=ゴマから Kibumba へ行く道。Virunga National Parkへも続く
長い長い一本道 (Photo © Kadae.C)
Mutere さんは、こうも教えてくれました:「・・・軍がやってきて、蜂蜜を探し始めたのです。しかし、蜜はすでに収穫済みで残っておらず、それに気がつくと今度は蜂の巣に火をつけ燃やし始めたのです。そして、施設のドアや窓、水貯蔵タンクを破壊していったのです。2007年10月のことでした。」
今だからこそ、ゴマの町にも活気が戻り、コミュニティー周辺も一見状況がおちついたように見えます。しかし、こうして直接話しを聞くと、やはり紛争はあらゆるところに深く跡を残しているのです。まだ、紛争は終わっていないのです。
Kibumba の事務所での作業を再開し、蜂蜜プロセスを再開するためには、非難した機材をゴマから持ち運び、軍によって破壊された蜂の巣をつくり取り付け、略奪された機材や物資を再度見つける必要があります。3年続いたこのプロジェクト。Bee Keepers やMutere さんをはじめ、Associations に関わる全ての人の3年分の努力と希望が集まった蜂蜜プロジェクト。また、ゼロからのスタートです。
写真=Bee Keeprs Associationsの代表を務める
Mutere Timothi 氏・81歳 (Photo © Kadae.C)
Mutere さんに尋ねました:「どうして、このプロジェクトに参加することに決めたんですか?」その問いかけに、笑顔でこう応えてくれました:「はじめてこのプロジェクトの話を聞き、Associations の存在について学んだとき、“これが私のやりたいことだ”っと情熱を感じたからです。」
開発分野で仕事をしていて、困難な状況に直面してもこうして前向きに生きる彼らの生の声を聞くと、こちらがエンパワーされます。「がんばらねば。」と、勇気をもらいます。
コンゴ蜂蜜産業におけるコミュニティー開発
一歩国境を越えると、ガラリと風景が変わります。ゴミもなく、規則に沿い静かで落ち着いた風景とは一転、今度はあちこちから聞こえる騒々しいもの音と慌しい通りに出くわします。ゴマの中心部はエネルギーが渦巻いています。野菜やお米、バティック、男性用の靴、ぬいぐるみやおもちゃなど、通りは驚くほど商業で賑わい、人々の活気に満ち溢れています。車やバイクの音、砂埃、人々の笑い声や通りを隔てて行われる交渉。メディアから通してみるゴマのイメージとは違ったものでした。
写真右=ジュグデュにのり
商業活動する少年・ゴマ
(Photo © Kadae.C)
今回のプロジェクト-蜂蜜の生産過程における質向上と、蜂蜜の市場拡大、および生産を通じた現地コミュニティーの雇用・収入拡大-は、とくに Virunga National Park 国立公園周辺の村やコミュニティーを対象としたもの。7箇所に合計440 もの Bee Keepers Associations が点在しています。視察は、ゴマから22 km 離れた Kibumba 地区で行われました。この地区では、3つのAssocations が活動し、合計33人もの Bee Keepers が蜂蜜の栽培に関わっています。
現地の人々は、蜜採集のために、伝統的な蜂の巣を木の上や茂みの中に取り付けますが、これが国立公園内で行われた場合、木を伐採し、自然の生態系に影響を与え、動物を含む保護の対象となっている生物多様性を破壊する危険があります。それだけでなく、巣を設置し蜜を採取する人(Bee Keepers)自身も、マウンテンゴリラやバッファローなどの動物、また国立公園内をパトロールするレンジャーとの衝突など、危険にさらされる可能性があるのです。もちろん、許可なく国立公園への立ち入りは禁止されていますが、貧困にあえぎ、家族に満足のゆく食事さえ与えることのできない周辺住民にとって、国立公園内で作業が禁止されていようと、そんなことは構っていられません。蜜採取は命にも代えられないものなのです。
そこで、周辺コミュニティの生活向上を目指し、Bee Keepers の公園外での蜂蜜栽培および市場の拡大、質・技術の向上などを支援し、同時に Virunga National Park の生物多様性、環境を保護し、絶滅危機にさらされているマウンテンゴリラを保護しようというのが、このプロジェクトです。生物多様性・環境保護活動において、コミュニティー開発が基本であることが、明確に打ち出されています。
写真=Kibumba地区でのBee Keeping(BK)プロジェクト.
BK Associationの代表(真ん中)とBee Keepers (Photo © Kadae.C)
私は個人的に蜂蜜が好きではなく、人に進められてもめったに食べませんが、もちろん、今回のプロジェクト視察で現地の人から進められれば、試食をしないわけにはいきません。でも、食べてみると、なんとこれまで食べたことのない味でとてもおいしいんです。なぜだろう、と不思議に思いつつも、気がつくと何度も何度もスプーンに取り、このコンゴ産蜂蜜を食べていました。ここで取れる蜂蜜ですが、ミツバチによって Virunga National Park 内のお花から集められた蜜だそうです。他に、ユーカリから取れた蜜もあるのだそう。
写真=蜂の巣にできた蜜(左) ・ Virunga 産蜂蜜(右)(Photo © Kadae.C)
*コンゴ Kibumba 産蜂蜜を含め、プロジェクトの詳細は、IGCP にコンタクトしてください。また、今回のコンゴ視察は、現地機関のインストラクションおよび現地専門家の同行のもと行っています。
出会った二人の少年
Lambert。小学校から高校、専門学校までが一つになったMusanzeが誇る教育機関INESで専門学校の最終学年を終えようとしていたこの少年は、学校の敷地から歩いて出てくる私に流暢な英語で話しかけてきました。INESでの専門は農業やBioエネルギー、グリーン科学、環境マネージメント。将来は、ルワンダの国のため、農業とエネルギー分野での仕事を望んでいるのだそう。日本で言えば、小学校から中学校、高校、専門学校と全ての教育を受けてきたこの少年。行く方向が一緒だったこともあり、私は歩きながら何となく彼と会話をすることになりました。この地域一帯で、学校教育を受けていない子供たちはどれくらいいるの?との私の問いかけに、「みんな学校にいっているよ」。まさか・・・。そのとき、私はその日4時間かけてあちこち歩いたこの町の様々な場面を思い起こしました。そんなはずはない・・・。「男の子も女の子も、小さな子供も“みんな”教育を受けているの?」「今、ルワンダ政府は全ての子供に教育を受けさせることを義務付けているから、もちろん学校に行っていない子供たちはここにはいないよ」。本当かなぁ。「例えば、あそこにいる子供たちも絶対に教育を受けているの?」私は、通りに集まって裸足で遊んでいた6,7歳くらいの男の子たちを指してしつこく確認しました。「もちろん。こっちの学校は、午前中のみ、あるいは午後のみのクラスだから、きっとこの子達は午前中の学校に行ったんだよ。」大小の穴が開き、もともとは白色だったはずの茶色く疲れたT-シャツを着た子供たち。本当に学校に行っているんだろうか。でも、教育をしっかり受けた現地の少年が言っていることだし、ルワンダ政府も教育には力を入れているし、現状はきっとそうなのかも・・・。
翌日、Vickyに出会いました。町の中心部を一人散策していた私に、ぎこちない英語で「How are you?(元気ですか?)」と話しかけてきた少年。白いシャツに紺色の膝丈ズボン、リュックを身にまとい、一見したところごく普通の少年だったので、私はまた、こうして出会った少年と歩きながらたわいもない会話を始めました。
どことなく暗い感じを漂わすこの少年は、兄弟をなくし、父をなくし、母と二人の生活を送っているとのこと。ちょうど休み明けで多くの学校が始業していたので、私は彼に「今日はもう学校は終わったの?」とたずねました。すると、「学校に行くお金がないからいけないんだよ。」え・・・?「お母さんは歳で病気だし、僕が学校に行くお金はないんだ。勉強したいんだけど・・・。」「お母さんはこの町にすんでるの?」「僕たちはRugereroにすんでるんだけど、僕は昨日からここに来て学校を探しているんだ。」この少年は、1ドルにも満たないミニバスにのりこの町へ入り、昨晩、知り合いの家に泊めてもらったのだそうです。そしてこの日、どこへ行けばいいかのも分からず、学校を探しながら一人町を歩いているときに私と出会ったのだそうです。なんと返答をしていいか分からず、無言の空間をさけるかのようになんとなく、「もうお昼は食べたの?」と聞くと、少年は少し笑みを浮かべながら、当たり前かのように「まさか。何も食べてないよ。」と。時計をみると、そのときなんとすでに午後4時30分をまわっていました。私は町を数時間歩きのどが渇いていたこともあり、少年を誘って現地のフードショップに入りました。支払いは私がするからと伝え、少年はチキンとポテトの食事をとり、私はビンのコーラを飲みながら彼にいろいろとたずねました。学校へ行くお金がないこと、教材費がないこと、母親が病気でこの先どうすればいいか分からないこと、英語は拾った新聞や人の会話を聞いて自分で学んだこと、どうしても勉強がしたいこと、いつも神に祈っていること、私と出会い話しを聞いてくれる人がいてとてもうれしいこと・・・。彼の思いや状況を聞き終え、最後は「Don’t give up. Just keep trying, and something will come up. (あきらめないで。がんばり続ければ、きっと何かが開けてくるから)」と言って別れました。この言葉が少年の今の状況にとってどれほど無意味なものかを知りながら、何の助けにもならない言葉と知りながら、私はこれ以外の言葉を見つけることができませんでした。人を勇気づけるはずのこの言葉が、こんなにも虚しく意味のないものに響いたのは、私にとってこれがはじめてです。
全ての教育を終え、自信にみなぎり目標と夢を持った少年と、どこの学校に行けばいいのかもわからず、学校の教材さえ手にできず、勉強がしたいのにその機会さえ持つことを許されない少年。同世代の対照的な二人との出会いは、ヨーロッパや中東など諸外国からの投資家が多く参入し経済ブームにあるルワンダが一人たりとも見落としてはならない子供たちの存在を教えてくれました。
これから未来を現在に作り変えてくこの少年の「学校に行きたい」という小さな、しかし切実な願い。それは、この国、そしてアフリカ全土にわたって多くの子供たちが未だかなえることのできないものです。国連機関で開発にたずさわる一方で、一個人としてどれほど無力であることかを実感し、国連の名刺に自分の名前を見ると、恥ずかしく、虚しさを感じさえしました。
Vickyは今、一歩ずつ前に進んでいます。彼に関する話は、また別の機会に・・・。
Ideology of Genocide
ずっと考えていました。ケニヤやウガンダから来ているアフリカ人の知り合いは、タクシー運転手やバーで出会ったルワンダ人の人とたまに大量虐殺について話しをするそうです。彼らの中にはまだまだ怒りが強いようで、今にもまた同じようなことが起こりそうな勢いだと言います。一方で私が知り合ったルワンダ人の子供や大人にちらりと話しを聞くと、今はルワンダは平和に暮らしている、と。でも、本音はどうなんだろう・・・。
国立公園で仕事をしているあるルワンダ人の人は、こんな話をしてくれました:ある日、旅行者が彼のところへやってきて、「君、ツチ族、それともフツ族、どっち?」とたずねたそうです。彼は笑顔で、しかしはっきりと「私はルワンダ人です」と応えたそうです。そのとき、その場はシーンと静まり返り、その後その旅行者は何の質問もしなかったそうです。
このルワンダ人の若い青年の中に、大きな歴史と苦難を乗り越えてきた国の国民としての誇りが、はっきりと見えたような気がしました。
人それぞれ、まだまだ、心の中で思うことはあるのかもしれませが、大量虐殺のイデオロギーは、子供たちの間に強く残っているようです。こちらで1月の新聞を読んだ際、面白い記事を見つけました。Secondary schoolと Primary schoolを担当しているEducation Ministerが、国家の2009年の目標の一つとして小学校などに存在している大量虐殺のイデオロギーを一掃することを掲げている記事でした。そしてつい数日まえ、BBCで古いですがこんな記事を見つけました(http://news.bbc.co.uk/2/hi/africa/7246985.stm)。
子供たちはこういった歴史を親や学校から学びます。大人社会の根深いところに、まだまだ取り組むべき問題が残っています。子供たちの未来のために。
写真左=Ruhengeriの子供たち
(Photo©Kadae.C)